神橋から二荒山神社の別院である滝尾神社へ向かう史跡探勝路。一応神橋が出発点となっているルートの実際の出発点となるのがこの開山堂です。
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鳥居と朱塗りの小さいお堂・大きいお堂が建っています。
大きいお堂が開山堂、小さいお堂が観音堂です。日本人がまだ神道と仏教の区別がついていなかった時代につくられたため、鳥居も建っています。
開山堂の横を抜けると史跡探勝路のルートが始まります。
開山堂の由来
日光山は奈良時代末期から平安時代初期にかけての僧侶・勝道上人によって開かれました。
開山堂は、勝道上人を祀るための施設です。
勝道上人が亡くなったのは弘仁8年=817年と伝えられます。
個人の遺徳を偲んで祀ったという点では仏教より神道に近い発想で作られたものだと言えます。
案内板には、開山堂が建てられたのは日光東照宮ができたときだと書いてあります。
開山堂境内の様子
開山堂の内部には、室町時代に作られたという地蔵菩薩の木像と、勝道上人の弟子10人の木像がおさめられているとのこと。しかし一般参拝客は内部に入ることはできません。
開山堂裏には勝道上人のお墓があります。もともとは開山堂の裏の崖の上に埋葬されていた勝道上人のお骨が、開山堂が建てられたのと同時にこちらに改葬されたそうです。
となりには勝道上人のお弟子さんのお墓があります。
一般的には観音堂より知名度が高いのがこちらの観音堂。観音菩薩のアバターの一つ・楊柳観音が祀られています。
仏徳の一つ慈悲をキャラクター化した観世音菩薩は、特に中国で広く信仰されるようになりました。
その信仰の広まりにつれて作られたのが、三十三観音。楊柳観音はその中で病苦からの救済の役割を付与されています。
開山堂にはお堂の横に至るまでたくさんの香車の駒が置かれています。
楊柳観音が祀られているということは、もともとは病気平癒のご利益が期待されて建てられたものだと考えられますが、いつしか安産の神様のように信仰されるようになりました。そのため、産の宮とも呼ばれます。
香車はまっすぐにしか進めない駒。
ここに置かれた駒を一つ借りていって、祀っておくと、香車の駒のようにするっと安産ができるということです。
無事安産ができた人は、駒を返すのと同時に新しい香車の駒も奉納することになっているので、だんだん駒が増えていきました。そこから香車堂という別名もついています。
中には明らかに素人の手書きと思われるものもあるけれど、そこはまあ気持ちということで。
観音堂の隣には「陰陽石」があります。
この2つの石が男女陰陽に見立てられていて、こちらも安産のご利益があるとか。
開山堂の奥には「仏岩」があります。
以前はここに仏の形をした岩が並んでいて、それが地震でくずれてしまったそうです。
その下には、梵天、帝釈天、不動明王、四天王のうちの三体の像が並びます。
四天王のうちどの三体かはわかりません。書いていないということは不明なのでしょう。
梵天はヒンドゥー教の最高神であるトリムルティの一柱・ブラフマー。ブラフマーは四面の神なので中央の複数顔がある像がブラフマーでしょう。
帝釈天はバラモン教の最高神・神々の王インドラです。バラモン教では偉い神様だったのが、ヒンドゥー教ではちょっと格が下げられ、それをパクった大乗仏教でも天部に格下げされました。
開山堂の情報
開山堂・観音堂(産の宮)
東武日光駅から徒歩40分ほど。