日光市内の「史跡探勝路」には、神橋から滝尾神社までのコースと、もう一本神橋から憾満ヶ淵・並び地蔵までのコースがあります。
滝尾神社までのコースはこちら。

実は同じ日に歩いたんですけど、別にまた行ったかのようなていでお届けします。
神橋から慈雲寺山門まで
出発点は神橋です。ほんとうは並び地蔵のほうから戻ってきたときに撮りました。そういうことは積極的にばらしていくスタイルです。
同じルートを歩く人の案内として、いかにもここから出発したかのように書いていきます。
神橋と並んで架けられている日光橋を渡ったら左に曲がり神橋のほうに進みます。
実は日光橋も神橋ほどではないけれどけっこう歴史がある橋のようです。
もともと木の橋だったのが、明治35年の洪水で神橋ごと流され、鉄橋として作り直されたとか。
現在の大谷川の川面は橋よりずいぶん下にあるので、どれだけ恐ろしい水量の洪水だったのかがわかります。
左手には明治6年=1873年創業の日光金谷ホテル。
日本最古のリゾートホテルで、イザベラ・バード、アルベルト・アインシュタイン、昭和天皇などが宿泊しています。
その先に二俣に分かれた道があるので左側に進みます。
大谷川に沿って進行。
三叉の道に来たらまっすぐ進みます。左に行っても行けますがまっすぐ行ったほうがいろいろあります。
坂を登った先にある磐裂神社。虚空蔵菩薩を祀っていたものが、明治になって神社になったという説明書きがありました。
神社の前の分かれ道をさらにまっすぐ進みます。
すると、民家の前に流れる水路に蛇口がついた石の施設が並ぶ道に出ます。
現在でも実際水が流れていて、利用しているおうちもあるようです。
で、その通りが終わるあたりに案内板がありました。
大正時代に作られた「石升」という水道施設。水が豊かな土地だからできる設備ですね。
その先に案内板。
左に折れて並び地蔵の方へ進みます。
突き当りを右へ。
左に曲がって橋を渡ります。
橋を渡ったら案内板に従って右方向へ。
その先に「東京電力日光第二発電所」の看板。
その奥の鉄パイプが水力発電施設です。日光市内にはこのような水力発電所が10箇所ほどあります。
並び地蔵へつながる道の入口に到着。ここには駐車場があるので、だいたいの人は車でここまで来ます。
入り口に並ぶ庚申塔やお地蔵さん。
「クマに注意!」という看板がかけられています。ここは山との境界。人間の領域だから出てくるなという勝手な理屈はクマには通じません。
参道に入ってすぐのところに赤い祠があります。
聖徳太子を祀った太子堂です。
聖徳太子が名工を集めて法隆寺をつくったことにあやかり、大工さんが信仰しているという説明書き。
今市にも聖徳太子を信仰する職人ギルドがあります。
その横にある石碑は、多分「桜植樹記念」と彫ってあると思います。
参道をさらに進むと、右手のちょっと道から外れたところに看板があります。
看板の奥には木の中に埋もれるように立つ石碑。
大正天皇御製の『水辺夏月』が彫られています。
衣手も
しぶきにぬれて
大谷川
月夜涼しく
岸づたいせり
暑い夏に月明かりの中大谷川に沿って涼みながら歩かれる大正天皇のご様子が浮かんでくるようです。
やっと慈雲寺の山門が見えました。