今市総鎮守瀧尾神社

日光のパワースポットといえば、世界遺産でもある日光東照宮や日光二荒山神社を思い浮かべる人も多いでしょう。ただ、地元民から見るとそれらは入館料・拝観料を取る観光地であり、信仰の場というイメージはあまりありません。

日光のパワースポットとしてこのブログで最初に取り上げるのは、旧今市地区の今市総鎮守瀧尾神社です。

瀧尾神社について

Wikipediaの情報によれば、日本全国にある瀧尾神社(滝尾神社も含む)は20社。そのうち栃木県内にあるのが17社と、栃木県と非常に縁が深い神社です。

栃木県内の17社のうち、日光市には12社あります。

同じ名前の神社が複数ある場合、本社、総本社が存在し、そこから分霊を受けた神様を祀るのが分社となります。最も有名なのは、日本全国の稲荷神社の総本社が京都の伏見稲荷大社だということでしょう。

ところが、瀧尾神社に関しては総本社のようなものがないようです。

また、京都にある瀧尾神社とは、御祭神の一柱である大国主命は共通するものの、栃木県内の瀧尾神社とは直接的な関係はないようです。

今市総鎮守瀧尾神社の由来と御祭神

瀧尾神社の入り口にある縁起によると、勝道上人が日光山を開いた天応二年=782年に瀧尾神社も祀ったのが始まり。その後、室町時代の寛正元年=1460年、後花園天皇の御世に改装されて現在の神域ができたとのことです。京都の慈照寺、俗称銀閣寺を建てた人ですね。

奈良時代に建てられたというのは疑問だとして、実際には室町時代に建てられたものだとしても日光東照宮より150年以上古い神社です。

御祭神は大己貴命、田心姫命、味耜高彦根命の三柱。

大己貴命は大国主命の別名で、出雲大社や氷川神社、そして二荒山神社の御祭神でもあります。

田心姫(たごりひめ)命は多紀理毘売(たきりひめ)とも呼ばれ、素戔嗚命の娘でかつ大国主命の奥方でもあります。

大国主命は素戔嗚命の6代後の子孫ということなので、素戔嗚命の娘である田心姫と夫婦になるという設定はいろいろ問題があると思えますが、そこはそれ神様の世界のことなので気にしないことにします。

味耜高彦根(アヂスキタカヒコネ)命は、大己貴命と田心姫命の間に生まれたお子様です。耜は農具の鋤のこと。農業を司る神様だと考えられます。

大己貴命、田心姫命、味耜高彦根命の三柱は、二荒山神社の御祭神でもあり、三柱で二荒山大神と呼ばれます。また、二荒山神社の別宮にも田心姫命をお祀りする滝尾神社があるため、勝道上人が直接関与しているかどうかは別として、瀧尾神社と二荒山神社に何らかの関係があるのは間違いないと思われます。

今市総鎮守瀧尾神社の境内の様子

瀧尾神社の入り口に「大黒天 今市七福神」と書かれた札が立っています。その後ろには「今市宿七福神めぐり」という幟もあります。

旧今市市内には、七福神それぞれをお祭りする寺社が点在しており、スタンプラリーなども開催されていますが、新型コロナウイルスの影響もあり今後はどうなるでしょうか?

七福神の一柱でもある大黒天は、本来ヒンドゥー教の最高神の一柱であるシヴァの憤怒相・マハーカーラのことです。「大黒」は「マハーカーラ」の直訳で、仏教に取り入れられて天部の神様になりました。

仏教経由で日本に伝わった大黒天は、大国を「だいこく」と読むことでダジャレ的に大国主命と同一の神様だとする設定が生まれました。

大鳥居前の狛犬さん。それぞれ角を生やした強そうな狛犬さんです。

明治神宮では狛犬のルーツは古代オリエント・インドに遡るとしています。

狛犬の起源は古代オリエント・インドに遡(さかのぼ)ります。狛犬はライオン(獅子)を象った像ですが、それがはるばるシルクロードを通って日本まで伝わってきました。古代オリエント諸国では聖なるもの、神や王位の守護獣として百獣の王ライオンを用いる流行がありました。そのいちばんいい例がエジプトピラミッドのスフィンクスです。それが一方では西欧に流れていってヨーロッパ諸国の王位の象徴である獅子像になりました。西欧の王室のマークや建物の飾りを見ると、ライオンのデザイン化されたものが多いでしょう。あれも狛犬の遠縁なのです。
http://110.50.208.34/qa/jingu/10.html

現在一体しかないスフィンクスも、建造当時は二体で一対だったという説もあります。

ただ、日本に伝わったのは中国の獅子でした。中国では仏教や道教の寺廟に一対の獅子を置きます。

どうも伝わった当初は日本でも獅子だったようですね。それが、平安時代の頃に角のある阿形の狛犬と、角のない吽形の獅子の一対に変化したようです。

それがさらにどちらも角がない一対の狛犬へと変化していったのだとか。

この神社のどちらにも角がある狛犬は、両方角がない姿になったのとは逆パターンで、角がある狛犬が一対に変化したものかもしれません。

だとすればかなり古いもので、奈良時代にまでは行かないまでも平安時代や鎌倉時代ぐらいまでは遡れる可能性もあります。

大鳥居をくぐった先には細い清流が流れていて、そこに小さな橋がかかっています。

橋のたもとに「叶願橋」と彫られた石が置かれています。

その横にある札。

「瀧尾神社 叶願橋
商売繁盛・恋愛成就・子授け等

{渡りの作法}
まず、大鳥居をくぐり橋を渡る前に願い事を五回となえます。
神前にて参拝後に再度、橋の手前で願い事を五回となえます。」

と書いてあります。

往復で10回唱えてでも叶えたい強いお願い事がある人は試してみてください。

叶願橋の前にも一対の狛犬さん。

阿形の狛犬さんは苔むすどころか草まで生えてまるでたてがみです。

その横に狐さん。

狐さんが守る小さな祠を覗くと、そこにもい一対の狐さんがいました。

狐は本来稲荷神の神使、神様のお使いです。稲荷神=宇迦之御魂神は狐ではありませんが、狐さんの印象が強いので神様自体も狐さんだという誤解もよく見られます。

この祠はどうなんでしょうか?

橋を渡ると右側に社務所があって、その前に竹で作られたおみくじを結ぶやつがありました。

普通は木の枠に紐が渡されたところに結びますよね。こういう手間がかかったものはここ以外で見た記憶がありません。

手水舎は修理中とのことで使えませんでした。実際には新型コロナウイルス感染を防ぐためだと思われます。

社務所を過ぎると社殿があります。

社殿の前の狛犬さんは口の中に一円玉、右手の上にゴルフボールが乗っていました。ゴルフボールはなにかの願掛けでしょうか?

瀧尾神社の拝殿です。

賽銭箱が拝殿と離して設置されていて、賽銭箱にも小さな鈴がつけられています。

拝殿に掲げられた額。「凱旋 征清記念」とあります。日清戦争に出征した今市出身の方が無事帰国されたことを感謝して奉納されたもののようです。

こちらは第一次世界大戦に出征された方の帰国を祝ったもの。

拝殿の横の彫刻は、今上陛下ではなく上皇陛下の御即位10周年記念として奉納されたもの。

ちなみにこちらは2008年に撮影したもので、その時には

大己貴神(大黒)

田心姫神(弁天)

事代主神(恵比寿)

と書いた札がかかっていました。

大己貴命=大国主命がダジャレ的に大黒天に擬されていることは上に述べた通り。

ただ、サラスヴァティー=弁天に擬されているのは、同じ宗像三女神でも市杵嶋姫命のほうですね。

事代主神は恵比寿とされることもあります。ただ、事代主神も大国主命のお子様ではありますが、お母様は田心姫命ではなく神屋楯比売命です。

社殿の裏側は鎮守の森となっていて、稲荷社などの末社が並びます。

鬱蒼とした鎮守の森の中に入っていくと、日光市の指定文化財「今市瀧尾神社石造明神鳥居」が立っています。

カメラの補正で明るく見えますが、実際はもっと薄暗いです。子供だったら恐がって入ろうとしないかもしれません。

その奥にある祠。狐さんがいないので稲荷神ではないと思われます。

鎮守の森の前は駐車場になっていて、太平洋戦争に出征された方をお祭りする忠霊塔が立ちます。

その横には満州上海事変記念碑。

ところで瀧尾神社といえば以前は「風車を祀る神社」でした。

以前はこのようにたくさんの風車が奉納され、飾られていたものでしたが、今回訪れたときにはなくなっていました。

これが一時的なものなのかどうかは不明です。

今市総鎮守瀧尾神社の情報

今市総鎮守瀧尾神社

栃木県日光市今市531
東武日光線上今市駅(下今市駅と東武日光駅の間の駅)から徒歩3分ほど

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