栃木県日光市について

日光市は栃木県の西北部一帯を占める広大な市です。

もともとはそれほど大きい市ではありませんでしたが、2006年に隣接する今市市、藤原町、足尾町、栗山村と合併され、約1,450平方キロメートルの市域となりました。これは、栃木県のみならず、関東地方でも一位の広さ。日本全国でも、岐阜県の高山市、静岡県の浜松市に次ぐ三位の広さとなります。

とはいえ、日光市全域の約84%は森林が占めており、非常に自然豊かなところだと言えます。

人口は7万8千人弱。栃木県の県都・宇都宮市の人口52万人弱と比べると非常に少なく、残念ながら消滅可能性都市の一つとされています。

日光市の歴史

現在の日光市を構成する旧日光市・旧今市市・旧藤原町・旧足尾町・旧栗山村それぞれの歴史について簡単に触れていきます。

旧日光市の歴史

歴史上に「にっこう」の名前が登場するのは奈良時代です。

下野国南高岡、現在の真岡あたりに生まれた僧侶・勝道上人は、32歳の時に修行のために日光に訪れました。

そのとき上人が渡った大谷川の激流の上に掛けられたのが現在の神橋だと言われています。

日光で庵を結んで修行を始めた上人は、二荒山(現在の男体山)に霊感を受け、二荒山への登山を試みます。

2度の失敗を経て、延暦元年=782年、勝道上人と弟子たちはついに二荒山への登頂に成功してその地に二荒山大神をお祀りしました。

この二荒山が「にこうさん」と呼ばれ、日光山となったのが、日光という地名の始まりだとされています。

その後日光権現の信仰が起こり、日光権現をお祀りする二荒山神社が創建されました。

時代が下って大阪冬の陣の前年にあたる慶長18年=1613年、徳川家康のブレーンである南光坊天海が日光山の貫主となります。

そして、その3年後に徳川家康が死去。家康の神号は天海により東照大権現とされ、日光に日光東照宮が造営されました。そのため、後代の徳川将軍や大名などが日光詣をするようになり、江戸から日光へ至る日光街道、朝廷からの勅使=日光例幣使が参詣するための例幣使街道なども整備されて日光は発展していくことになります。

江戸時代が終わって以降は、日光・奥日光は外国人の観光地、避暑地として利用されるようになりました。

昭和天皇ご行幸の折に宿泊された、神橋のたもとにある日光金谷ホテルも、明治になってから外国人向けの宿泊施設として建てられたものです。

また、現在、奥日光の中禅寺湖がトラウトフィッシングのメッカとなっているのも、中禅寺湖畔に別荘を建てた外国人が釣りを楽しむためにマスなどを放流したのが始まりとなります。

以降日光は、観光地として日本国民にも外国人にも親しまれるようになりました。

平成になってから、観光地としての日光は精彩に欠けるところもありましたが、平成10年=1998年に、日光東照宮・日光二荒山神社・日光山輪王寺の二社一寺が「日光の社寺」としてユネスコ世界遺産の文化遺産に指定されたことで再び注目されるようになりました。

旧今市市の歴史

旧今市市は、旧日光市の東隣にあった市です。旧今市市役所は現在日光市役所となり、日光市の行政の中心という役割を持ちます。

今市は日光街道と例幣使街道が交わる位置にあり、江戸時代には日光詣のための宿場町として栄えました。

日光杉並木の杉が成長するにつれ、その杉葉を利用した線香の製造も広まります。

現在は純日光産
幕末には二宮尊徳が今市で逝去しています。二宮尊徳は晩年日光奉行の配下として派遣されており、日光神領である今市村の農業を発展させるため用水路などを整備していました。そのとき造られた用水路は、現在まで二宮堀と呼ばれて親しまれています。

ちなみに二宮堀は、私の母校である今市高等学校のまわりを流れます。

旧藤原町の歴史

藤原町と聞いても地元の人以外でイメージが湧く人はあまりいないと思いますが、鬼怒川温泉と聞けばわかる人も多いでしょう。

藤原町は鬼怒川上流域にあって鬼怒川温泉や川治温泉などの温泉地を擁します。

鬼怒川温泉は江戸時代初期の17世紀末に発見され、日光詣の大名向け温泉地として発展しました。いわばセレブ向け温泉リゾートです。

昭和になると現在の東武鬼怒川線の前身である下野電気鉄道が開業、戦後になると東京から直通の特急も運行されるようになって、東京から手軽に行ける温泉地として発展していきました。

川治温泉のほうは、会津藩の藩祖・保科正之公が整備した会津西街道の宿場町であり、鬼怒川温泉とは違い庶民の湯治場として発展しています。

旧足尾町の歴史

足尾町は銅山の町です。

足尾銅山は戦国時代の末期頃に発見され、江戸時代に幕府によって銅が採掘されていました。しかし、幕末ごろには採掘量が減って、一時閉山になります。

明治時代になってから新たな鉱脈が発見され、近代化とともに大規模採掘が行われるようになります。しかし、採掘量が増えるとともに燃料や建築材として周辺の樹木が大量に伐採され、また銅の製錬工場から排出される煙による大気汚染、工場から流された廃棄物による鉱毒汚染など環境破壊が行われ、鉱毒事件を告発する田中正造がやむにやまれずに起こした直訴事件なども発生しています。

このため、足尾銅山は日本で初めて環境破壊を起こした地という汚名を着ることにもなりました。

足尾銅山はその後も戦後に至るまで運営されて、1973年に閉山となり、鉱夫たちは足尾を去って過疎化。

その後、銅山の跡地が足尾銅山観光という観光施設として開放されて、往時の銅山の様子を伝えています。

旧栗山村の歴史

栗山村は、栃木県の北西のどん詰まりにあった村で、川俣温泉や湯西川温泉などの温泉地を擁します。

2006年に日光市に合併されるまでは、栃木県に唯一残った村でもありました。

栗山村一帯は「平家落人の里」を称しています。

平安時代末期から鎌倉時代にかけての源氏と平氏の戦いにおいて、負けた平家の縁の人、平家側の兵士などが鎌倉幕府の目を逃れ、栗山村に住み着いたというものです。こうした平家落人伝説は栗山村だけでなく日本各地にあります。

その真偽の判定は専門家に任せるとして、現在栗山村周辺では「平家落人の里」を観光のために利用しています。

ちなみに「平家」は、皇族より臣籍降下して平姓を名乗った「平氏」のうち、平清盛一門を指します。平家は源氏との戦いで滅んだわけですが、源氏川にも平氏はいました。北条政子の北条氏も自称平氏です。

平氏は後世まで残っています。上杉謙信の出自である長尾氏、織田信長の織田氏も平氏を名乗っていました。

日光市の産業

日光市では観光業と農業が産業の柱となっています。

日光東照宮・日光二荒山神社・日光山輪王寺等、世界文化遺産「日光の社寺」とされる地域の他、奥日光の中禅寺温泉・日光湯元温泉、旧藤原町地区の鬼怒川温泉・川治温泉、旧栗山村地区の川俣温泉・湯西川温泉など、それなりに名が知られた温泉の他にも多くの温泉地があり、温泉ファンからの評価も高いです。

また、奥日光の光徳牧場、霧降高原の大笹牧場などの観光牧場も有名です。

中禅寺湖、中禅寺湖を水源とする大谷川などはトラウトフィッシング、鬼怒川は鮎釣りなどで釣り人を集めます。

合併以前より旧今市市で力が入れられていたのが日本そば。

日光市は蕎麦の名産地でもあり、蕎麦の収穫量は県内一。

そして、人口あたりの蕎麦店の数はなんと日本一だといいます。

日光市内には100店舗以上の手打ちそばの店があって、「日光手打ちそばの会」が結成され、さらなる日本そばの発展普及に努めています。

ただ、戸隠そばなどと比べると知名度が低いのも事実なので、このブログが日光のそばの認知度を広める一助になればいいと思います。

日光市は山林が多いため、日光彫などに代表される木工が盛んな地でもあります。それと同時に、高低差を利用した水力発電所も多いです。日光市内だけでも10箇所の水力発電所が稼働しています。

日光市へのアクセス

首都圏から日光市まで行くには、首都高川口線から東北自動車道に乗り換え、宇都宮インターチェンジから日光宇都宮道路に乗り換えます。

旧日光市まで行くなら日光インターチェンジまで、鬼怒川方面に行くなら今市インターチェンジで降ります。

鉄道は、JR宇都宮駅からJR日光線に乗り換える方法もありますが、東武日光線を使うのが一般的。

東武日光線は浅草駅が始発となります。また東京メトロ半蔵門線が東武日光線の南栗橋駅まで乗り入れています。

23区西部方面からは、JR新宿駅始発で栗橋駅から東武線に乗り入れる特急「日光」も運行されています。ただし、特急日光は割高なため、安く上げるならJR湘南新宿ラインの宇都宮方面行きで栗橋まで行き、栗橋から東武日光線に乗り換えるという方法もあります。

ただ、東武線は浅草か東武日光まで直通の快速が廃止されて後は直通便は特急だけとなり、特急以外でのアクセスが異常に悪くなりました。無駄な待ち時間などを避けたいのであれば、特急を利用するしかないですね。

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